今朝(5月13日)の毎日新聞に
「研究 無邪気だった」大震災想定できず地震学会が反省
という記事があった。日本地震学会の臨時委員会が11日に会員らの反省論文と提言を盛り込んだ意見集をまとめ、学会ホームページ(http://www.zisin.jp/)で公開した。新聞はこのPDFファイルで公開された約170頁の凄い論文・提言・資料集の内容を、以下のようにいとも簡単に要約している。
「健全な批判精神をもって研究を取り巻く現状を認識する」ことが必要と提言している。提言では超巨大地震が起きる可能性を見逃した理由について「既存の理論に過度に依存した『思い込み』があったとの声などを紹介している。その上で「研究成果が教育やメディアの現場にどう伝わり、使われているか無自覚、無邪気であった。」とした。
この記事では、みだしの「研究 無邪気だった」が強烈すぎてどんな文脈のなかでつかわれたのか気になってしかたがない。それでこのPDFファイルをDLした。
記事は
地震学への提言
̶臨時委員会における議論の総括̶
東北地方太平洋沖地震対応臨時委員会(委員長:鷺谷威)
という4頁分のなかの1頁たらずの「3議論のまとめ」を要約してかかれたものと分かる。これをどうのこうのという気力はないが、新聞というのはこういうものなのだという一面がよく見えたと思う。
もう少し詳しく議論のまとめを紹介すると、日本の地震学の問題点を次の4つの論点にまとめている。
1) 東北地方太平洋沖地震は何故想定できなかったのか
堀・松澤・八木(2012)によるまとめでも,見逃しの原因は単に観測データの不
足に押しつけられるものではなく,経験科学としての限界や,理論の不確かさに加え,既存の理論に過度に依存した「思い込み」があったのではないかと指摘している.また,今後の進むべき方向として,視野を広げて議論を活発化させることを求め,地震の「切迫度」の評価へ向けた研究の方向性を提示している.
2) 地震学会は国の施策とどう関わるのか̶̶地震学研究者・コミュニティの社会的役割とはなにか
川勝・鷺谷・橋本(2012)によれば,自由に自然界の真理を追究する研究者個人とは別に,地震学研究者コミュニティとしては社会との関わりが不可避であり,実際これまでにも様々な努力がなされてきている.そうした関わりの中で地震学が取り組んできた問題には,地震学の科学としての未熟さや扱う問題の困難さゆえ,地震学だけでは解決できな
い問題が非常に多い.そうした状況を解消していくためには,研究者コミュニティ内部で健全な批判精神を持つこと,また社会との議論を通して適切な着地点を探す努力が求められている.
3) 地震学会と地震・津波防災̶̶「防災」のために何が足りなかったのか,「防災」と如何に向き合うべきか
泉谷・武村・西村(2012)は,社会との関わりを意識すること,自分の専門分野の研究をしっかり行うこと,分かっていることに加え分からないことも伝えること,他分野と連携して知を融合すること,という4つが地震学を防災に生かしていく上で重要だと結論づけている.いずれも当然と言うべき内容ではあるが,それが必ずしもきちんとできていなかったという認識を持つことが重要であろう.
4) 教育の現場やメディアで地震学の知見をどう伝えるか
最後の論点は,教育現場,メディア等を通した知識普及に関する内容である.地震の発生メカニズムに関する研究が地震学や地震災害対応の上流だとすれば,下流,末端には一般市民に生命を守る情報を伝え,児童・生徒に正確な科学の知識を伝える学校やメディアの現場がある.地震研究者の意識は往々にしてこうした末端まで行き渡らず,自分達の研究成果が最先端の現場にどのように伝わり,どのように使われているかについて,あまりに無自覚,無邪気であったと言わざるを得ない.情報は末端まで意図した通りに届いて始めて意味を持つ.どうすればアウトリーチの目的が達せられるかを真剣に考える必要があるが,まずは教育や報道の現場に関心を持つことの重要性が指摘されている.















































