大阪人にとって、万博というのは「1970年の大阪万博」のこと。その跡地は「万博記念公園」になっている。「日本庭園」、「自然文化園」、「国立民族博物館」などがあり、大人も子供もも楽しめる憩いの場になっている。その公園のシンボルが「太陽の塔」で、私の住む茨木市のちょうと高い丘やビルの屋上からはその偉容が見渡せる。吹田市や茨木市のランドマークであり愛着をもってその外観を眺めてきたが、内部に入ったこともなく、外観にしてもそのデザインの詳細を意識したことはなかった。
茨木市竜王山(510m)から見た太陽の塔
9月15日(木曜日)に万博記念公園の開園と同時に入園した。「太陽の塔の内部観覧」は予約が一般的だが入場枠に空きがあるときは当日券もあるというので入場待ちの列に並んでみた。10時から入場できた。
「ようこそ太陽の塔へ」という小冊子によれば、
太陽の塔は、大阪万博のテーマ「人類の進歩と調和」を表現するテーマ館として、すなわち文字どおりの”パビリオン”として建てられた作品です。
生み出したのは前衛芸術家・岡本太郎。テーマ館のプロデューサーに就任した岡本が。テーマ展示の構成要素として考案したもので、内部にはダイナミックな展示空間をようしていました。
万博閉幕後、ほぼすべてのパビリオンが撤去されるなか、太陽の塔の永久保存が決まります。1975年のことでした。その後、内部は半世紀にわたって扉をとざしていましたが、2018年に再生を果たし、常設の展示施設に生まれ変わりました。
太陽の塔は高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m。その異様な風貌は、西洋の美的基準からも日本美の伝統からも外れていて、世界を見渡しても似たものがありません。
いったいなにをあらわしているのか。作家本人がなにも語っていないため残念ながらよくわかりかりません。しかし特徴的な3つの顔についてははっきりしています。
お腹についている<太陽の顔>は現在を、頂部の<黄金の顔>は未来を、背面の<黒い太陽>は過去をあらわしています。大阪万博テーマ館が「過去」→「未来」→「現在」を巡る構成であったことにくわえ、作者である岡本太郎が「人間の身体、精神のうちには、いつでも人類の過去、現在、未来が一体になって輪廻している」と考えていたからです。
わかっているのはこれだけ。あとの解釈は自由です。どうぞ自由に感じてください。
太陽の顔
黄金の顔
黒い太陽
太陽の塔の中に入る。最初の地底部では写真撮影が可能である。導入部には岡本太郎のスケッチが飾られていた。太陽の塔の構想をねっている段階のものらしい。それなりに興味を引かれる。
次はいよいよ<地底の太陽>ゾーン、万博当時」、太陽の塔の前段に位置していた地下展示「過去:根源の世界」の雰囲気を体感する空間です。仮面や神像、映像や照明などを組み合わせて、テーマ館の世界観を伝えます。
中心は万博閉幕後に行方不明になった<地底の太陽>。この展示のために復元しました。あわせてテーマ展示を支えていた世界の仮面と神像も展示しています。
太陽の塔の内部の展示空間には、鉄鋼製で造られた高さ約41メートルの「生命の樹」があり、樹の幹や枝には大小さまざまな292体の生物模型群が取り付けられ、アメーバーなどの原生生物からハ虫類、恐竜、そして人類に至るまでの生命の進化の過程をあらわしていました。
地底の太陽ゾーンの見学が終わるといよいよ空間展示の生命の樹です。階段を上りながら順に見ていくことになります。
塔内の見学を終えたとき、軽い疲労感もありましたが何か充実した高揚感がありました。岡本太郎の熱気と狂気に当てられたのだと思います。きっとこれからみる太陽の塔のイメージはすっかり変わってしまったと思います。