姉・前田敏子を偲ぶ

 てみ子の姉・前田敏子が2017年1月31日(火)の20時07分に逝去しました。
 敏子姉は昭和11年6月5日生まれで80歳(享年82)でした。
 2015年11月末に膵臓癌のステージ4と告知されてから1年と2ヶ月、よく頑張ったなと思います。今年になって、もう医療の打つ手は無いと本人も分かっているのだと感じていました。 それでも電話で、腹水がたまり尿がでない、食事ができないなどと苦痛を訴えるものの、意識は死の前日まで正常で会話ができました。最後まで正常な意識があるというのは、なんと残酷なことなのだ感じていました。
 姉は本当に最後まで毅然として生ききったと感動します。お義兄さん(利賢 1989年2月1日に60歳で逝去)の命日の1日前、きっとお義兄さんがむかえにこられたのだと思います。

 姉は世話好きで明るい人でした。私たち夫婦はお世話になるばかりでした。姉との付き合いで今も直ぐに思い出すことを書き出していきます。

1987年(昭和62年) 鹿児島へ
 1987年(昭和62年)の7月31日に大阪南港からフェリーのサンフラワーで親子4人で鹿児島に里帰りしました。てみ子の父親もまだ健在でした。お兄さんやお姉さんのそれぞれの家で歓待され,正志は芋焼酎に酔いしれました。
 いろいろ観光もしましたが正志の仕事がらみで姶良火山灰を採取しています。このころから火山灰,特に2.5万年前に姶良カルデラから噴出した姶良火山灰や阿蘇火山灰などのいわゆる広域テフラに正志の研究の興味が移り,姶良火山灰を探しにこの年の10月にはてみ子と福島県にまで出かけています。その後も何回か鹿児島に広域テフラ試料採取にでかけ、その都度、姉さんの家でお世話になりました。
 8月6日の朝,鹿児島から大阪に戻りました。4人そろって鹿児島へ行ったのはこれが最後でした。
img051
利賢(左端)さんと私たち家族(郡山の前田家の庭で

義兄利賢さんの急逝
 1989年(平成元年)2月1日
の朝、義兄は急逝、昭和4年生まれで60歳でした。
 知らせを受け、正志は勤務先の福井大学で急用のみをかたづけ、14時に初代インテグラで茨木に着く。休む間もなく鹿児島に向かいました。中国自動車道の広島あたりで雪だったことを覚えています。この頃はまだスタッドレスタイヤではなくスパイクタイヤだったような気がします。まだ九州自動車道は途中までで熊本からは一般道、深夜になりそうなのでどこかに泊まると姉に電話すると、待っているのできなさいと。翌日の朝2時に鹿児島県郡山町の前田宅に到着。
 11時から葬式,現役の町の収入役の突然死で,葬儀には約600人が詰めかけました。私たち夫婦の(義)兄弟姉妹の死は初めてで大きなショックを受けました。
 葬儀をすませ、3日の朝9時に帰路につき、22時に茨木に。
 アメリカ在住の紀子姉を除いたてみ子の兄姉の全員(6名)が葬儀に間に合いました。敏子姉の悲しみを思うと何も言えませんでした。姉は泣かずに気丈に振る舞っていました。

今は亡き次男・達志が鹿児島へ
1992年(平成4年) 次男・達志は中学を卒業し高校に入学する前に一人で鹿児島の親類を訪ね、皆さんのお世話になり、よほど感激したのか日記に色々書き残しました。
 敏子姉について書いた部分を引用します。「3月31日 昨日,敏子叔母さんの所にタケノコ掘りに行った。叔母さんは見つけるのがうまかった。僕は掘るだけ。
 敏子叔母さんは寂しそうだった。香代子ちゃんは結婚したし,利久さんは大島に5年間も。あの家で一人,太郎(亡き義兄が可愛がっていた犬),お前はしっかり叔母さんのことを看てくんだぞ。叔母さんの顔,体を見ていたらしわがいっぱいで俺は泣きそうだった,いや泣きたかった。最後に叔母さんに,もう会えないからと言われた。叔母さんは違う意味で言ったのだが。僕には,一生あえない予感がした。」 最後に「楽しかった鹿児島,満叔父さん,千鶴子叔母さん,敏子叔母さん,利夫叔父さん,まち乃叔母さん,伸ちゃん,貴子さん,和代さん,ほんとうにありがとうございました。
 お祖父ちゃん,まだまだ生きてな。」と締めくくっていました。

 

2010年(平成22年)3月 伊吹・彦根から福井へ 
 
敏子姉さんは私たちの結婚式(1973年10月8日)、長男・大智の結婚式(2002年3月10日)、次男・達志の葬式(2002年6月12日)などのために大阪に出てきてくれました。いつも私たちが忙しすぎて、観光案内などはまったくしていませんでした。それでこれまでのお礼の意味をかねて、正志が定年退職し福井の宿舎を引きあげる前に福井を案内することにしました。
 私たちがよく知っている伊吹(ペンション伊吹に一泊)、彦根城、琵琶湖を巡ったあと福井県の東尋坊、吉崎御坊などを案内し、鯖江の宿舎に泊まりました。私たちの馴染みのコースなので、見せたいものが多すぎて、姉には食傷気味だったかもしれません。しかし、どこでも大喜びしてくれ、好奇心いっぱいに楽しんでくれました。福井大学の正志の研究室もみせました。これが大学?と吃驚した様子、きっと正志の部屋の乱雑さにあきれたのでしょう。
 春の山野草もいっぱい案内しました。セツブンソウなどの可憐な小さな花に、山野草愛好者が多数つめかけているのが不思議だったようです。姉は小さな花よりザゼンソウのようなちょっと大きめのメリハリのある花が気に入ったようでした。

ペンション伊吹
DSC_0131DSC_0134

彦根城
DSC_0146DSC_0152

東尋坊
DSC_0175DSC_0193


上 セツブンソウ     下 ザゼンソウ

2014年4月 アメリカへ
 
カリフォルニア(California)洲のサリナス(Salinas)に在住の紀子姉さんが元気なうちに姉たちと一緒に米国に行きたいという話がでました。睦子姉は不参加、敏子姉は一人でもいくつもりということで、結局、敏子姉と正志&てみ子で行く事になりました。
 正志&てみ子は4月9日から19日までの11日間、敏子姉は9日から28日までの20日間の旅。アメリカでの日程は全て、早期退職し時間に余裕ができたという甥の勤君(サンノゼ San Jose在住)が調整・案内してくれました。

 アメリカ旅行記は「アメリカ西海岸 2014年4月」、「アメリカ西海岸 4月中旬の花たち」、「アメリカ西海岸 4月中旬の鳥たち」にまとめているのでここでは省略します。

 敏子姉はアメリカでも元気でした。紀子姉、姪のマリ子、甥の勤夫婦とよくしゃべり、食欲も旺盛でした。サービス精神も旺盛で、手品も披露してくれました。
 ミュアウッズ国定公園(Muir Woods National Monument)やビッグサー(Big Sur)でのトレッキングも難なくこなしていました。私たちが興味を示す山野草や野鳥探索にも機嫌良く付き合ってくれました。
 紀子姉は足腰がだいぶ弱ってきているようだったので、元気なうちに逢っておきたいという思いは正解だったようです。

4月10日 カリフォルニア州のセントラルコーストにあるビッグサー(Big Sur)の州立公園
DSC_0235DSC_0277DSC_03032014_0410_151820-DSC08741

4月11日~13日 ラスベガス
DSC_0072DSC_0085DSC_0087DSC_0088

4月13日 サンノゼ
DSC_0248

4月14日 ナパ
DSC_0369DSC_0305

4月15日 サンフランシスコDSC_0935

4月16日 スタンフォード大学
DSC_0179DSC_0144

4月17日 サリナス
2014_0417_170001-DSC08977


2014年10月9日~10日 黒部・立山へ
 1泊2日のJTB旅物語のツアー「黒部峡谷トロッコ列車と立山黒部アルペンルート2日間」に、鹿児島の敏子姉、枚方の睦子姉と正志&てみ子の4人ででかけました。当初は3姉妹での旅の予定でしたが写真係にと正志も参加することになりました。私たち以外は高山になれていないのでツアーに参加することにしました。人気のコースで、クラブツーリズムや阪急トラピックスなどでも同じような旅行代金で同じような企画がたくさんありましたが、私たちに馴染みのJTB旅物語を選択しました。黒部峡谷では他のJTB旅物語の団体が複数あったのには吃驚。 旅行記は「立山」に。

 素晴らしい晴天にめぐまれ、北アルプスの絶景に高山は初めての姉たちも大喜びの旅行になりました。登山のツアーではないので歩くのはせいぜい1時間程度の楽な行程でした。

 敏子姉は13日の飛行機で帰る予定でしたが、台風接近で12日に変更。大阪(伊丹)ー鹿児島間のANAは一日に6便あるのですが、第1便は欠航、2便は福岡に着陸か伊丹に引き返すこともあるとANAのHPにでたので、乗る予定の第3便は危いだろうと、急遽、新幹線に切り替えました。新幹線は台風がらみの飛来物の影響で一時運転見合わせだったので心配しましたが、切符の取れた「さくら555号」はほぼ定刻に新大阪をでて 無事帰宅。

 絶景旅の付録に台風騒動があり、よけいに印象深い旅になりました。

DSCF9038

2015年4月7日~4月12日 てみ子の兄弟姉妹の親睦会に
 
敏子姉が世話をして、4月8日と9日に鹿児島県「休暇村指宿」で永井家兄弟姉妹の親睦会が開催されました。それぞれの連れ合いも参加し総勢10名でした。私たちは「由布院」で1泊してから「休暇村指宿」に向かいました。
 人気の休暇村で宿泊客は満杯のようでした。部屋に風呂はないのですが大浴場、露天風呂、砂むし温泉が利用できました。
 夕食は「郷土料理+バイキング」のハーフバイキングと称するもの。朝食は普通のバイキング形式。料理はまあまあの味でした。
 久しぶりに顔を合わせてそれぞれが老けたなと実感しつつ楽しい時間を過ごしました。

 9日は全員でグランドゴルフの予定だったけれど、天気予報が9日だけは晴れ間があるというので私たち夫婦は開聞岳登山には絶好のチャンスだと別行動に決めました。空き室があるというので、登山後、休暇村に連泊することにしました。

 10日は「フラワーパーク鹿児島」に寄った後、てみ子の故郷日置市東市来町田代で永井家の墓参り。敏子姉と鹿児島市郡山町西俣の家(今は貸家にしている)で合流。竹藪で筍を掘り出す。正志は筍掘りは初体験、なかなか難しい。その後鹿児島市岡之原町の敏子姉の家に行き泊まりました。さっと作って出してくれた新鮮な筍料理は美味しく、焼酎も旨かったのです。

 11日は姉と一緒に霧島(えびの高原)へ。「大浪池」登山口に駐車し、良く整備された登山道を1.2km登りました。姉もスローペースですが元気に登り切りました。
 「大浪池」からは韓国岳が目の前に、登りたかったのですがこの日は時間的・体力的に無理だったで諦めました。ハルリンドウの群生があり、嬉しかった!

 えびの高原の「えびのエコミュージアムセンター」、「高千穂牧場」を経て帰路に。鹿児島空港で敏子姉と別れ茨木に。
 私たちとの何回かの旅は姉さんの旅心を余計に刺激したようです。誘ってくれれば何処へでもついて行くと。嬉しいことでした。

2015年6月21日~25日 国立民族博物館・アルプの里・尾瀬ヶ原
 ・奥只見湖・近江八幡  敏子姉との最後の大旅行

6月21日 姉が昨日、大阪に出てきました。伊吹に連れて行きたかったのですが天気が不安定。明日の早朝から尾瀬ツアーに参加するので今日は近場にというわけで万博公園に。
 民博で「音楽の祭日 2015 in みんぱく」という行事をしていて今日は無料観覧日というので、せっかく万博公園にきたのだからと民博だけでなく日本庭園にも久しぶりによってみました。

DSCF0778DSCF0780DSCF0797

JTB旅物語のツアーで尾瀬ヶ原へ!
2015年6月22日
 「湯沢高原アルプの里」で観光し湯沢温泉にある「ホテル・スポ-リア湯沢」に泊まりました。
 アルプの里では、定員166名という世界最大級(?)のロープウエイで標高377mの山麓駅から標高870mの山頂駅へ。1時間足らずで多くの高山植物が植栽されているロックガーデンを巡りました。
  むろん高山植物の女王コマクサはありましたがなんとなく寂しげに見えました。一番印象に残ったのは美ヶ原でみたことのあるコウリンタンポポでした。
DSCF1002DSCF1012DSCF1015DSCF1018

6月23日 尾瀬ヶ原
 それぞれにガイドが1人がついた3班に分かれ、準備体操をし尾瀬ヶ原に出発。正志&てみ子は健脚者グループの15名の第1班に。残りは第2班(14名)と第3班(13名)に、79歳の敏子姉は2班に。姉の歩行力に不安があり連れ立って行くつもりでしたが、2人は自由に歩きなさいというので、「もうダメと思うところで停止し、私たちが戻るまで待つように」と何回も説明し別行動になりました。

 姉が「義兄がいつか尾瀬ヶ原に連れて行くと言っていたので、是非行きたいのだ」と言うのを何度も聞かされていました。またミズバショウを見たいと言うのでなんとか間に合うだろうと6月にしたのです。ミズバショウが綺麗に咲き残っていたので嬉しかったのですが、姉の方は体力的に大変だったようです。この時の無理がガンの症状を一層悪くしたのではないかと、あとから悔やみました。

 姉は最初の山の鼻までの下りは無事。尾瀬植物研究見本園ですれ違ったときもまだ元気そうに見えました。ご本人はこの辺りでかなりしんどくなっていたようで、ついて行くのが精一杯で、下をみて一生懸命歩いていたので自分の位置を全く把握していなかったようです。山の鼻に戻ったときにそこで停止し待っていてくれればよかったのに、尾瀬ヶ原牛首分岐まで行ってしまいました。途中、すれ違った時疲れがピ-クのようだったので、私たちが第1班を離れ姉のサポートにまわろうとしましたが、添乗員さんが面倒見るので班を離れるなという。気掛かりで最後尾をゆっくり歩きました。
 ガイド同士の無線のやり取りで、1人が体力不足で遅れているが添乗員がついているという情報が入る。姉の第2班は歩行能力のばらつきが大きすぎて、ガイドの許可なくさっさとすすみ、前を行く私たちの第1班を抜いていこうとする人達もいました。私たちのガイドが勝手な行動を止め、第1班に合流させました。第2班のガイドの統率力不足とグループ員の歩行力の差が大きすぎることが姉の苦戦の原因かなと思いました。第3班は牛首分岐まで行かずに途中で引き返しゆったりしたペースでまわっていました。せめてこのグループだったら自分の位置を確認もせず歩くこともなかったろうにと思います。
 私たちのガイドに姉の状況を伝えると、様子を確認しに行ってくれ、途中で第2班のガイドを姉の保護に向かわせました。
 病気やケガがない限り大抵は予定の時間で戻ってきますよと気休めを言ってくれました。
 その予定の時間16時30分から5分遅れで、添乗員、ガイドと一緒に戻ってきました。全員が大きな拍手で迎えてくれました。ご苦労様。まあ、大したものです。落ち込まず、よくしゃべりよく食べ、翌日もけろっとしていました。
DSC_0208DSCF1069

6月24日(水) 奥只見遊覧船と龍ヶ窪観光
DSC_0375DSC_0389

6月25日 近江八幡水郷巡り
 尾瀬ヶ原で12kmも歩いて帰ってきたばかりなので姉は疲れているはずで、今日は出歩きたくないだろうと思っていたのですが、「正志さんが大丈夫なら、私は行きたい」というので近江八幡観光にでかけました。
 昨年の6月に米国サリナス在住の勤一家が来日した時にも近江八幡を案内しました。その時の手こぎの和舟での水郷巡りの話を聞いているので、行ってみたいと思ったようです。その時に放映されたBS朝日の「人生の楽園」も見たらしい(今年の6月14日に再放送)。で、今日の目玉は和舟に乗っての「水郷巡り」。
 「元祖おうみはちまん水郷巡り」の乗船場に直行、9時着。定期便は10時発、貸し切りなら直ぐにでも出せるというので、6人乗りの貸し切り舟を頼む。3人なので少しだけ割高だがまあたまにはこんな贅沢もよいものです。朝一番で他の舟はまだでていない。広大な水郷の素晴らしい景色を独占というのは贅沢な限りでした。オオヨシキリ、カイツブリ親子、アオサギ、カルガモなど、そして青々としたヨシ原、水路の柳。のんびりと船頭さんとの会話を楽しんだ80分でした。
 下船した時、「人生の楽園」での主役だった船頭さんに出逢いました。大阪から毎日、愛妻弁当をもって通っていて、元高校の校長という変わり種。正志の友人元島根大学教授のQちゃんも退職後、松江で手こぎの観光船の船頭をしていたことがあり、イメージが重なってちょっと奇妙な感覚。ただ、元校長さんの方が人付き合いが上手そうな・・・。
 姉やてみ子がテレビをみたというと、愛想良く相手をしてくれまし。

DSC_0051DSC_0073DSC_0074DSC_0076DSC_0081DSC_0089

 

 

2015年
11月29日 敏子姉、腹痛で入院
11月30日 膵臓ガンのステージ4と告知。手術は無理で化学(抗がん剤)治療しか手はない。
12月 6日 ガンが脳にも転移
12月15~17日 脳外科で放射線治療
12月22日 セカンドオピニオンをもとめ治療法を探るため鹿児島大学病院に入院 

2016年
 
電話のやりとりでいつも元気に話してくれるが徐々に弱っていくのを感じていた。入退院の繰り返し。
 息子・利久夫婦、娘・香代子、孫達、二人の兄夫婦やその子供達、親類の人達の親身の世話を受けていて、私たちにはいつも元気そうに振る舞っていました。
1月30日 毛が抜けたと電話
2月7日 抗がん剤の副作用は少ないとメール

 アメリカの甥・勤から「母(紀子)が水曜日(2/17/16)にサンフランシスコの UCSF 病院に入院し、大規模な手術を受けました。今、回復中です。去年末に頭と首の MRI の結果で頭と首の繋ぎ目の所にバンヌスが発生していて、神経を押さえているのが見つかりました。」というメールあり。
 利久は「母(敏子)の容態は落ち着いてきており,抗ガン剤治療の副作用は白血球の減少と脱毛程度なので,退院の検討をしているところです。」と返信。
 勤から「此方の日曜日にUCSF病院から退院して、モントレーの看護施設に移動しました。救急車を使って運ばれました。ここで6週間ぐらいのリハビリが始まります。動いたら首が大変痛いので、苦しんでいます。それでもリハビリの体を動かすのは大事なので、無理やりに動く運動を昨日させられました。母は大変疲れていたと鞠子から聞きました。トイレも自分で食べるのもやっと出来る様な状態ですから、かわいそうです。今日、施設の係の人達からリハビリの事に付いての説明を受けます。母の病気はパンヌス(pannus formation) と医者が言っていますが、後縦靱帯骨化症とはちょっと違う様です。しかし結果は同じだと思います。母の事だから、頑張って元に戻る努力をすると思います。」
 
紀子と敏子は本当に仲のよい姉妹なのでどちらも相手のことを大変心配していました。

4月10日~26日 入院。この間に熊本地震がありました。次は5月9日から入院予定、食べられないと。
5月13日 腹水がたまる
5月28日 1日3回、痛み止めを飲んでいる
6月5日 80歳の誕生祝いの電話をかける

(この数年は寝たきりだった千葉の義姉が逝去し、6月26日が通夜、27日が葬式。)

7月13日 昼にスパーランドらららで兄弟(姉妹)食事会。その後、敏子姉と墓参りをして姉の家に泊めてもらう。トイレには人生訓が何種類も。抗がん剤をやめたからか頭髪は復活していました。
IMG_0018

IMG_0007(1)IMG_0034(1)

兄弟会のあと姉は張り合いがなくなったのか元気がない様子が続きました。

8月17日 「ついに姉が食事ができなくなり16日に入院し、今日、十二指腸にステントを入れる手術をする。美術展に行くつもりだったが流石に出かける気力は無い。頑張れ!と祈るだけ。遠出はやはりしばらくは無理ですね・・・・」と正志はツイート。
9月7日 緩和ケア病院にテスト入院
10月17日 3日前に退院。TS-1(抗がん剤)を飲んでいる。食べても味がない。
11月24日 てみ子が学会で鹿児島へ
11月26日 途中まで姉が車で迎えに来てくれ家に。伸ちゃんの子供達が焼き芋を楽しんでいた。しんどいだろうにご馳走をしてくれ、手料理を土産にもたしてくれました。生きている姉の顔を見られた最後になりました。
12月3日 姉LINE「こんにちわ。利久がきたのでもみじ見にドライブしました。」12月12日 緩和ケア病院に緊急入院。吐いた。ステロイドの点滴。腹水がたまる。

(このころ、11月に急性白血病で大阪大学病院に入院した私たちの孫・花楓のことをしきりに心配してくれていました。)

12月19日 三階の病棟(消化器内科)に移り、22日に再度ステント挿入手術。この病棟の看護婦は不親切とぼやく。
12月29日 姉LINE「今晩わ。いよいよ今年も2日になりましたね。今食べ物が通るかテスト的にでるのですがほとんど食べたくありません。点滴していませんがまだ歩いています。今日は柿木平の京子さんがきてくれました。」

 

2017年
姉LINE「年が明けました。点滴で年を越しました。お互い坂はきついですが頑張るしかありませんね気張りましょう。」

元旦  半日だけ一時帰宅。仏壇、お墓に御参りし、伊集院の兄の家にも挨拶にいく。
 尿が出ない、腹水がたまる、食べられないと苦しみが続く。
1月30日 21時過ぎても良いから電話をしてと連絡が、何度も電話するがでない。
1月31日 全く連絡が無いのでいよいよかなっと覚悟。睦子姉から、薬を使って眠らすがそうなったらもう話が出来ないので電話しろと連絡あり。しかしてみ子は仕事で移動中で電話できなかった。

20時過ぎに死亡の知らせが届きました!(てみ子は仕事中)

 

敏子姉の葬儀

  敏子姉(戒名  釋 理習)の葬儀に二人で出かけました。大阪からは睦子姉夫婦、千葉からは正文兄さんも出席しました。

鹿児島市JA総合葬祭やすらぎ館伊敷斎場
通夜 2月2日 17時から
 郡山の光明寺の住職さんが導師
 凜とした気品の漂う女性住職、
  姉をよくご存じだったためか非常に心のこもった講話をして下さいました。
 睦子姉は灯明の護に式場に泊まりましたが、私たちはJR鹿児島中央駅前のアパホテルに。

葬式 2月3日 11時から
 導師は通夜と同じ
 葬式のお経の後、直ぐに3日?のお経があげられました。無くなって3日目で初七日までの中間日ということらしいのですが、大阪の私たちには初めての経験でした。30分近くもある長い読経でした。

 導師さんの強い指導で、49日まで7日毎の御参りも日程通りきちんとすることになりました。私たち大阪人の感覚では、7日毎にお寺さんに自宅に来て貰うのは大変という思いが強いのです。しかし、鹿児島では初七日は誰、14日はだれそれと手分けしてお寺に行き住職さんにおつとめをして頂くらしい。49日だけはみんなで集まってということらしい。それも浄土真宗のお寺ならどこでもよいと!睦子姉とてみ子は3月6日の30日に京都に西本願寺に御参りすることになりました。アメリカの紀子姉に葬儀の様子を伝える電話をしたとき、鹿児島での49日までの七日毎のおつとめのやり方は昔から同じだということでした。

 アメリカの勤くんから「こちらでは、昨日の夜、法事を行いました。母の家で、お寺の新しい開教師の藤田先生に来て貰いました。彼はまだ27歳の凄く若い青年です。てみこおばさんはお葬式に行かれますか?多分孫様の事で大変だろうと思いますが。敏子おばさんの写真は3年前のこちらで写したのを使いました。」というメールとその時の写真が届きました。葬儀場にこの写真も展示しました。

DSC03275 RDSC03279 R

13時頃、鹿児島市北部斎場で火葬
14時半 骨上げ
 立派な導師さんで良い葬式だったと嬉しかったのですが、この火葬や骨上げにはお寺さんの姿はなし。なんで?という感じ。葬儀や習慣・方法はまったく地域毎に違うのだと、いつものように思い知りました。

 敏子姉さんは昭和11年6月5日生まれで80歳、しかし享年は82となるらしい。

葬儀が終わって
IMG_0114IMG_0106(1)

 思い出を書き終わった今、あらためて姉・敏子は本当に最後まで毅然として生ききったなと感動します。 
 一緒にアメリカに行って以来、姉との旅行が急激に増えています。それは別れの予感からだったのでしょうか?

孫が急性白血病に (3)2017年1月


おめでとうございます

  投稿日:2017年 1月 3日(火)09時52分31秒

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
 大晦日、元旦は、いつものようにお寺や神社に御参りする気にもならず過ごしました。年賀状は何とか元旦に着くように間に合わせましたが、印刷しただけのもので、丁寧な添え書きのある賀状を頂くと恥ずかしくなります。

12月31日
 Shionはパパと吹田の家に帰る。
 大晦日、せめて美味しいお酒を飲みましょうと、最近初めて呑んで美味しかったので、もう一本と買い求めていた新潟市の越後鶴亀の「越後鶴亀 ひやおろし 純米 熟成酒」を呑みました。辛口で口当たりが良くあっという間に4合ビンが空きました。

1月1日
 Kanadeの初外泊。11時半に病院にむかえに。外泊者をむかえにきたというと、入退院者用の出入り口前の駐車場に車をおけました。
 吹田市の家に送り届け13時半に帰宅。
 お屠蘇のつもりで「究極の花垣」を。言わずと知れた超高級酒、いつ口にしても美味い。優しい気分が戻ってくる。

1月2日
 外泊中のKanade、今日の血液検査の結果が良ければもう一泊できるという。
 9時10分茨木の家をでて、9時40分に吹田でKanade&Yukieをピックアップし病院へ。Kanadeは病院に戻りたくないと泣き叫んだが病室に入ると諦め大人しくなる。検温などいつもの検査、血液検査、入浴など・・・。TNはひたすら待つのみ。13時少し前になって検査結果出て外泊許可。(病院が大嫌いなのは、ただただ待つしか無いという自分の立場の虚しさをいつも突きつけられることです。)
 万博の外周道路が大渋滞、JR茨木駅にでて産業道路を通り大きく迂回し吹田の家にKanade&Yukieを送り届ける。その帰り道も万博周辺が渋滞していた14時半にやっと帰宅。遅い昼食をとる。
 3日は出来るだけ長く家に居たいというので病院の20時までと門限時間ぎりぎりの19時の迎えを予定。渋滞がなければよいのですが。

1月3日
 鹿児島のT姉から電話。昨日、緩和ケア病院から一時帰宅。
 食べられない、尿も出ない、腹水がたまる。自分の葬儀のいっさいを○◎さんに頼んだ・・・などなど。さて私たちに何が出来る?? 非常事態でも(て)しか駆けつけられないのではと、今考えてもどうしようもないことなのですが。
 Kanadeは病院に戻る。よく説得したと思う。
 明日からDaichiは仕事なので、Shionは茨木に戻る予定。

1月4日

    投稿日:2017年 1月 5日(木)08時15分49秒

1月4日(水)
 世間では仕事始め、車の流れが仕事モードに。
 12時前に、Shionを病院で引き取る。Kanadeがドアの外に出て、Shionとじゃれていた。免疫力もここまで回復したということかと嬉しい。
 さて正月モードが終わり平常にとペースを切り替えようとしていた14時半にYukieから電話。次の「早期強化療法」は6日からとなり、今日は外泊しても良いことになったので帰りたい。で、Shionの宿題に区切りをつけ、15時半に病院へ。
 今日も万博外周道路は大渋滞、大阪-高槻-京都線(産業道路)で迂回し吹田の家に。明日の19時に迎えに行き、病院に連れ戻す予定。

1月5日(木)
 19時に吹田の家でYukie、Shion&Kanadeをピックアップし病院へ。Shionは茨木の自宅に引き取る。

1月6日(金)
 16時30分にTN&TNとShionが病院へ。Kanadeも小児医療センターのドアの外に出られ、17時までShionと遊ぶ。夜から点滴が再開される予定。
 17時50分から19時、Shionは吹田市総合運動場で毎週金曜日に行われているジュニア陸上(基礎コース)に参加、TN&TNはそれを見学。Shionは長距離組で400mのコースを9周もする練習をしていた。

1月7日(土)
 Kanadeとドアの外で遊べるかなと病院にShionを連れて行ったが、ドアの外には出られずガラス越しの対面でした。携帯をつなぎっぱなしで会話。1時間も続けられると電池はすぐになくなります。まあLineなので通話料はかかりません。(15時~16時)

1月8日(日)
 11時にDaichiがshionを迎えに茨木に。昼飯をたべてから病院へDaichiとshionを送る。

1月9日(月)だけ、まったくFREEの時間がもてました。

1月8日

  投稿日:2017年 1月 8日(日)08時18分29秒

 大阪大学医学部附属病院小児医療センター「こどもの森」「B前駆細胞型急性リンパ性白血病」孫のKanadeが入院して50日が経過した。なにしろ初めての経験、その都度いろいろの事を思い考えるが日数がたつと印象が薄くなって忘れてしまう。備忘録のつもりで経過等を掲示板に書き込んできたが其の時々に充分に書き切れないこともある。
 いま振り返って強く印象に残っていることを書き出してみる。既に書いていることと重複するかも知れないけれど。

大学病院について
1.2016年11月15日、済生会南千里病院から救急車で転院した。その日、半日間、あらゆる検査をして、夕方には急性白血病だと病名を告げられた。おまけに行きつけの小児科病院と済生会でのレントゲン検査では肺炎にはなっていないと診断されていたのに、CTスキャンで肺炎が確認されただって。流石に大学病院と感動でした。
2.大名行列と揶揄される教授回診というのがあります。センター長の教授さんの回診です。TNが関西医大で経験した大名行列と比べればいかにも簡潔・実質的で、好感を持ちました。白い巨塔とたたかれ慣れしている阪大病院を見直しました。
3.JPLSGが提案している「ALLーB12臨床試験」としてKanadeの治療が行われている。既に何年間もの臨床試験実施例が蓄積された安心感のある治療なのですが、Kanadeは研究用患者なのだと意識することがある。治療法でどちらがより有効か結論がでていないものに、患者をどちらかの治療法にランダムに割りつけるというのを知ってしまうと、まさに研究用データ提供者の一人に過ぎないという虚しさに直面する。
4.主治医だけではなく、看護師、保育士、チャイルド・ライフ・スペシャリスト、そしてボランティアの皆さんが連携して、小児の治療にあたっている。総合病院の良さだなと思う。

入院生活について
1.毎日、家族の誰かが付き添いとして病院に泊まり込んで介護している。大抵は母親です。共稼ぎの夫婦だったらどうなるのでしょう。他の付き添いなしでも入院できる病院を探すしかないのでしょうか?
  母子家庭や父子家庭だったら・・・。経済的余裕がなかったら・・・・
  家族の誰かが入院を要する病気になると大変です。
2.付き添いの母親、妻にかまってもらえない父親、どちらも食事が問題です。できあいのコンビニ食が主になってしまうので、バランス良い食事を心がけ健康を維持して欲しいと願います。
 長期入院になるとどうしても疲れがたまる。家族間の意識のづれも気になる。でも、大抵はちょっと我慢すれば乗り越えられることばかりです。

ルリビタキ、アカゲラ、ジョウビタキ

  投稿日:2017年 1月 9日(月)13時39分9秒

1月9日
 今日はDaichiが休みなので孫達の世話は親にまかせ、久しぶりに夫婦が気儘に過ごせる一日になりました。で、早速鳥見に。
 ルリビタキ♀、ジョウビタキ♂、アカゲラなどがでてきてくれ充実した鳥見になりました。

DSC_0057DSC_0052

オシドリ

   投稿日:2017年 1月10日(火)10時20分8秒


 今日から新学期、Shionの学校への送り迎えが始まり気分的には毎日あわただし生活になります。
 それでもいつもの池が気になり立ち寄りました。オシドリがでていました。今季初の出逢いでした。

1月10日
 11時45分、吹田の家でShionと待ち合わせ、茨木へ。
 宿題、明日の準備をすませ夕方、茨木市立中央図書館へ。結構、色々な本に手を出している。今、「○◎のサバイバル」という本を5冊も借りている。小学生には人気のシリーズらしい。まったく知らない本でしたが大人も読めそうです。

 いよいよ「早期強化療法」に入ったKanadeは、早速、薬害で食欲がまったくなくママにべったりくっついているらしい。
 明日、Shionと病院に行きます。

1月13日

   投稿日:2017年 1月13日(金)11時12分26秒

1月13日(金)
 「早期強化療法 ⅠB」の開始日は1月7日(土)、今日で丁度1週間です。
 11日(水)はアンパンマンの絵のあるレトルトカレーを食べたいと元気だったのに、12日(木)は全く食欲がなく幼児用ジュースを少し口にするだけ。抗癌剤の副作用です。ようやく寛解で順調に良くなっていると喜んでいたのに・・、ここで治療を休むと再発する確率が高いのでさらなる抗癌剤投与がプログラムされていると理解はできても、みているのがつらいです。
 「早期強化療法 ⅠB」のⅠBって何だろうとTNは気になるのですが、まあ多分どうでも良いことなのでしょう。

 「早期強化療法 ⅠB」で投与される抗がん剤は次の3つです。
 Kanadeにみられる副作用は、今のところ、脱毛、食欲不振、口内炎です。

抗がん剤
1.シクロホスファミド(アルキル化剤)
    商品名(製造・販売会社)
    エンドキサン(塩野義製薬)
    エンドキサンP(同上)
 現在、世界中で最もよく用いられている抗がん剤の一つで、ナイトロジェン・マスタードの毒性を抑えた薬として40年以上前に開発されました。
適応となるがん
多発性骨髄腫、悪性リンパ腫、白血病、乳がん、肺がん、子宮・卵巣がん、胃・膵臓・肝臓がんなどほとんどのがんの種類に用いられます。効果が穏やかなため多剤併用や大量療法で使われることが多く、併用療法のみのがんもあります。
主な副作用
骨髄抑制や吐き気・嘔吐、発熱、脱毛、出血性膀胱炎などが生じます。脱毛は治療が終わり薬の使用をやめれば自然に回復します。

2.シタラビン(代謝拮抗剤)
商品名(製造・販売会社)
キロサイド/キロサイドN(日本新薬)
 アメリカで最もよく使用されている抗がん剤の1つです。DNAに取り込まれてDNAの合成を阻害するとともに、DNAを複製する酵素の働きを阻害します。
現在シタラビンの大量投与法は、急性白血病では欠かせない治療法となっています。この治療法は強力で、効果も高いのですが、反面、副作用も強いので、充分な治療管理体制と支持療法が必要です。
適応となるがん
急性非リンパ性白血病を中心に、さまざまながんの種類に対しておもに他剤と併用します。本剤は血液脳関門を通過するため、中枢神経系白血病にも使われます。
主な副作用
シタラビンの主な副作用としては、嘔吐、食欲不振などの消化器症状が最も多く、そのほか腹痛や下痢、口内炎、発疹、倦怠感、肝障害、発熱などが現れることがあります。

3.ロイケリン
【働き】細胞の核酸の合成を妨害することで、がん細胞の増殖をおさえます。おもに、血液のがん白血病の治療に用います。
【薬理】核酸の形成に必要なプリン体の働きをじゃまします。がん細胞の核酸代謝にかかわる部分にはたらくので、「代謝拮抗薬」と呼ばれる部類に入ります。
【適用】下記疾患の自覚的並びに他覚的症状の緩解
急性白血病、慢性骨髄性白血病
吐き気や嘔吐、下痢、口内炎など、いろいろな副作用がでやすいです。あわてないよう、事前に医師から十分説明を受けておきましょう。軽い副作用の場合、治療を優先しなければならないことも多いです。
副作用でもっとも重要なのが「骨髄抑制」にともなう血液障害です。白血球が異常に減少すると、体の抵抗力がひどく落ちて感染症にかかりやすくなります。また、血小板減少により出血を生じることもあります。発熱やのどの痛み、あるいは歯茎出血・皮下出血など出血傾向がみられたら、ただちに医師に連絡してください。
【重い副作用】 ..めったにないですが、初期症状等に念のため注意ください
重い血液成分の異常..発熱、喉の痛み、口内炎、だるい、皮下出血(血豆・青あざ)や鼻血・歯肉出血など出血傾向。
肝臓の重い症状..だるい、食欲不振、吐き気、発熱、発疹、かゆみ、皮膚や白目が黄色くなる、尿が茶褐色。
【その他】
食欲不振、吐き気、嘔吐、下痢、口内炎
発疹、発熱、脱毛

茨木もうっすら雪化粧

  投稿日:2017年 1月16日(月)10時19分3秒

15日(日)
 2cmほどの積雪、モノレール沿いの彩都への道は一部通行止めで渋滞していました。Shionは病院により吹田へ。

16日(月)
 
Shionは自宅から学校へ。茨木から送らなくて良い朝は、気が楽です。
 少し雪が降り、自転車通学の女生徒がスリップして転倒していた。二人も・・・。
 鳥たちは元気でした。
DSC_0078DSC_0045

 

阪神大震災から22年

  投稿日:2017年 1月17日(火)16時03分17秒


1月17日(火)
 色々思い出します。達志の運転練習につきあって箕面に向かっていたとき
突然ハンドルを取られたような感覚があり、パンク?と急停車。前後の車も皆停車、電線が大きく揺れていて地震と知る。171号線と大阪中央環状線は車が全く動いていない。
 家に帰るといろいろ被害がでていた、などなど。
 今朝の毎日新聞は一面に武庫川の「生の字のオブジェ」の写真を載せている。2014年にも同じような写真を使っています。2014年のは5代目のオブジェ、今年のは??新聞はスペースのせいか説明不足が多い、TNには記者の勉強不足と腹立たしいが。

 今朝の箕面の山は雪化粧でした。

 Shionは友達と遊びたいというので17時半に迎えに行きます。
病院には今日はよらないことになりました。

化学療法47日目から50日目

  投稿日:2017年 1月21日(土)10時46分10秒

1月18日(水)47日目
 14時半に病院に。保育士さんに遊んで貰っていた。チャイルド・ライフ・スペシャリストと称する人なんでしょうがピエロのお兄さんも病室に来てくれ手品で遊んでくれた。


1月19日(木)48日目

 Shionの学校がいつもより1時間早く終わったので、そのまま帰りに病院へ(14時半頃)。
 今日も保育士さんが遊んでくれていた。(て)がいなかったのでバァバは何してるのと・・・。ジィジの家に行きたいな! 公園でカモや鯉に餌をやって遊んだことを思いだしているのでしょう。

1月20日(金)49日目
 Shionを学校に連れて行く朝の道は、行きは阪大病院前、帰りは阪大本部前と病院前でいっつもの大渋滞。なのに2車線しかないのに病院近くは片側に駐車が多く困りもの、珍しくパトカーが来て駐車車両を追い立てていたので流れは順調に。
 Shionは放課後に吹田市のジュニア陸上基礎コースに毎週1度出席している。18時50分から19時。この日は友人と遊んだあと行きたいというので、いろいろ手配し(吹田の自宅の鍵をつくるなどジィジの余分な仕事がいっぱいありました)、19時に迎えに行くことにしました。まあなんとかなりそうです。

 Kanadeとは電話で話しただけ。元気な声でしたが、ヘモグロビンの量が少なくなりすぎていて輸血をしたそうです。

 小学校でインフルエンザが流行りだした。患者の兄弟がインフルエンザになっていなくとも流行中の学校にいるだけで、病院付き添い者は家に帰るなと指導されているようです。それだけ感染が怖いということなのでしょう。

1月21日(土)50日目
 
デイルームで機嫌良く遊んでいた。

DSCF2581DSCF2592DSCF2587
窓から万博公園の太陽の塔や観覧車がみえる
DSCF2591

1月23日(月)

  投稿日:2017年 1月24日(火)05時01分58秒


 インフルエンザで学級閉鎖になったので、14時に迎えに来てとShionから
電話。予定より2時間早い。クラスで10人が休んでいたらしい。三日間の
学級閉鎖に。
 Kanadeは明日には個室から4人部屋に移ることに決まったので荷物を減らすための片付けで大変だというので病院による。つらいのか、機嫌が悪い。ジィジは嫌いだ、帰れ、とごねながらも抱き着いてくる。
 夕方、明日からは集合部屋なので、インフルエンザに感染しているかもしれないShionとジィジは病院には来ないでと電話あり。

それでも悲しいです

       投稿日:2017年 1月27日(金)07時19分46秒


1月24日(火)寒い朝、積雪有り
 学級閉鎖で休みのShionを忍頂寺スポーツ公園に。足跡のない真っ白な道、大喜びで駆け回っていた。水車前の休憩所周辺で雪投げで遊ぶ。疲れましたがShionは大喜びでした。
 久しぶりに耳原公園に。梅が咲き、ルリビタキも
きているとか。

1月25日(水)
 許可が出たので来て欲しいと電話あり。15時に病院へ。デイルームで他の入院者と一緒に絵本を読んで貰ったり、紙芝居を見たり、ゲームをしたり。
 ジィジの顔をみたとたん、「ジィジはくるな、あっちいけ」とごねる。ジィジやバァバがくるといつの間にかママが消える。それが不満と分かってはいても悲しいものです。

 集合部屋でテレビなどはイヤホンでということなのですが普通の耳にさす小さなものでは嫌だと付けようとしない。エディオンの店員さんと相談しいろいろ考え、やっと選んで買ってきたのに・・・、また気に入りのお菓子を茨木や吹田のスーパーで探し回って買ってきたのに、「ジィジはくるな、あっちいけ」では力が抜ける感覚。

1月26日(木)
 今日は保育士さんが遊んでくれていた。部屋が狭いので一人付き添うのがせいいっぱいのスペースですが、やはり「ジィジはくるな、あっちいけ」でした。


ジュニア陸上教室・基礎コース

  投稿日:2017年 1月29日(日)19時34分52秒

1月27日(金)晴れ後曇り
 
金曜日は吹田市「小学生ジュニア陸上教室・基礎コース」が吹田市立総合運動場で17時50分から19時まである。Shionはそれに参加している仲良しの友人と放課後遊んだ後、一緒に吹田の自宅から自転車で総合運動場に行きたいという。そこで陸上用具を朝、自宅に置いてから、自宅の鍵を持たせ、学校に送り、夜、19時に自宅まで迎えに行くことにした。今日で3回目、これでなんとかやっていけそうです。

(小学生ジュニア陸上教室のHPから)
 

「早期強化療法 ⅠB」の第四週に

  投稿日:2017年 1月29日(日)20時20分52秒

1月28日(土)
 「早期強化療法 ⅠB」の第四週(化学療法57日目から63日目)に入った。
 抗がん剤のキロサイドロイケリンメソトレキセート、炎症を抑えるステロイド薬プレドニン、吐き気を抑えるグラニセトロンが投与され、第三週と同じ治療が繰り返される。
 第三週になっての血液検査で白血球数、ヘモグロビン、血小板数が減少する傾向が強いため27日には8回目の輸血が実施された。
 第四週の様子をみまもり、血液検査・髄注などの結果をみて、遅くとも2週間後には次の段階の「大量メトトレキサート療法」に移行する予定。

 Kanadeは相部屋の仲間に親しくしてもらい、いくらか元気が出てきたようです。今日は「ジィジ・バァバはくるな、あっちいけ」はでませんでした。

1月29日(日)
 朝9時にパパ(Daichi)が茨木に来て朝食を食べる。11時になってShionとDaichiを病院に送る。DaichiかYukieのどちらかがShionと吹田の自宅に帰る。
 明日は、Shionは吹田から学校に行き、16時にTNが迎えに行き、茨木に連れ帰る。
 TNは毎日、何回かの送り迎えです。流石にちょっと疲れてきました。週一の全くフリーの休暇ぐらいは欲しいなと・・・、まあどうしようもないのですが。
  鹿児島のT姉、悪い情報ばかり。

1月30日(月)
 16時にShionを迎えに行く。病院は今日はパス。

1月31日(火)
 昨日の髄注はいつもよりスムーズにできたらしい。いまのとこる輸血も必要がないようなので一安心。保育士さんに遊んでもらっていた。集合部屋は狭いので、その間、TNはデイルームで待つ。

 NITTO 優肌 パーミロール(ハンディロールタイプ) H24R15 がなくなるというので前回と同じYahooショッピングの「マービー商会」に発注。

 敏子姉逝去の知らせが届く。
 Yukieの友人にShionを2月2日から5日まで預かって貰うことになる。

私たちは2月2日の通夜、3日の葬式のため、2日の朝Shionを学校に送り、Shionの荷物を友人宅に預けた後、新幹線で鹿児島へ。